BRM916京都600㎞

2023 brm

史実によると

当時の天下人となっていた織田信長、信長の長男信忠親子を討ち果たした明智光秀は、即座に中国路を折り返してきた秀吉によって討たれた。
織田信長の後継者を決める清須会議では、秀吉が推す信長の孫・吉法師と、織田家筆頭家老の柴田勝家が推す信長の三男・信孝の派閥に分かれたが、会議の翌年近江国賤ケ岳(滋賀県長浜市)で両派が激突。秀吉・吉法師派が勝家・信孝派を破り、信長の後継者が決したかに思われた
天正12年(1584年)、清須会議の段階では信長の次男・信雄は吉法師の代理として、織田家の惣領を務めることに決まっており、秀吉派に与していたが、日に日に秀吉と信雄は険悪化。信雄は徳川家康と同盟して挙兵、秀吉と対立した。
信雄自身は伊勢長島(三重県桑名市)に立て籠もり、家康は小牧山(愛知県小牧市)に布陣して秀吉陣営と対抗していたが、犬山城(愛知県犬山市)に布陣する秀吉は、小牧を迂回して家康の本拠である岡崎を直撃する作戦に出る─

そう、これが長久手の合戦における伏線
史実では長久手で家康の伏兵によって秀吉軍が討たれてしまい敗北…とされている

時は令和5年
長久手で狡猾な家康軍の伏兵に打たれた秀吉軍の仇は討てるのか?
BRM916京都600㎞ 小牧長久手に参戦してその史実に触れるべく京都へと馳せ参じた

前日

スタートは6:00、岡崎公園
車で行くと駐車場がバカ高いので輪行。普段使用しない阪急を使って河原町のネカフェに潜伏
22時から朝3時くらいまで…個室だけどロードで部屋の半分占拠された状態ながら何とか寝た

鍵付き個室のおかげで一応安眠?

なお、河原町のPっていうネカフェは二度と行かない。(チャンネーの接客態度が気に入らん)

スタート前

朝3時に起きて、あらかじめ買っておいた朝食を摂り、清算してからロード組み立て
その後、岡崎公園へ移動。
到着したらX(旧Twitter)フォローワー様方と談笑しながらブリーフィングを待つ。

時を越え、家康軍が陣取る長久手へと討ち入る
ブリーフィング光景

長久手出撃…

京→近江国

岡崎公園を出発。三条からR1を東へ進軍する。
先ず蹴上の坂で足慣らしだけど、この先長丁場なので遅いなりに脚を回す。
川西400シリーズで御馴染みの逢坂関を山科から登る(こっちの方が急坂)のだが、既に気温は30℃オーバー&湿気もあり何かヤバそう…
逢坂関下りで同士のものであろうツール缶が射出され転がっていた。回収して届けようかと思ったが、後ろから多数の同士が接近しており諦めた。(後に当人のXに書き込みあり)
いつもならビワイチでグロス20キロオーバー、AVEで25キロオーバーくらい出す勢いとは違い、交通量の多い市街地走行を強いられるわ、信号峠に苦しめられるわ、熱いわで全くペースが上がって行かない。

琵琶湖…今回はちょっとだけしか見れぬ

どうにか信号峠からちょっと解放され、旧中山道を進んで彦根市内到着。
暑さにかなわず高宮のコンビニで緊急停車。水・氷の補充及び補給食でおにぎり(梅)を胃の中に収めて再び進軍。
それでもこの日はDHバーを握ってもスピードが死んでしまう。もがけば更にドツボに陥る。悪循環だ
と、その登りの先、馬摺峠に徳川の伏兵?
いや、主催者が待つシークレットPCに到着だ

シークレットPC
馬摺峠

これより美濃国へと攻め入る

美濃国

米原から岐阜県へ突入。天下分け目の関ケ原を通り中山道を突き進むのだが、次第に襲う信号峠・酷暑・熱気等で脚力と思考力が落ち始めた。
各務原のPCまで何とか2時間の貯金を…と思っていたが、岐阜市内に入ると毎回悉く信号に捕まり、ストップ&ゴーを強制させられ、この間照り焼きにされ、水もなくなった。
もう一度コンビニ、最悪日陰、自販機…ヤバい、何か頭痛がして来たぞ(@_@;)
この日の岐阜市内の最高気温が36℃とかの酷暑。この先行ける気がしない、危なくて…

徳川軍伏兵により討ち死に(DNF)

気力だけでPC1(FM各務原吉野)到着。貯金は1時間20分位
まずレシート取得し、昼食を取りながらこの後の事を考える。

清州会議ならぬ各務原ひとり会議(笑)

ひとり考えた結果

  1. 貯金があったとして、日が沈むまで酷暑に苦しめられる。熱中症で行き倒れ不可避。
  2. 貯金は確実に削られる。タイムオーバーは不可避。場所によってはDNF後の撤退戦が地獄になりかねない。
  3. 思考力があるうちに撤退した方が良い。各務原ならJRもしくは名鉄で輪行出来る。

の事から

貯金度外視!命あってこそのブルベである!

なので

PC1にて討ち死に=PC1到着即DNF

秀吉軍の無念は晴らせず、あっけなく散ってしまった( ;∀;)

撤退…

今回のブルベが順調に行く前提で仮眠地点を新所原駅のホテルに設けた都合上、当日キャンセルは不可
各務原から名鉄で豊橋まで行き、JRで新所原まで輪行。

犬山から特別車(ミューチケットが意外と安い)のお世話になり少し寝た。

ホテル到着後、夕食と翌日の朝食を購入。23時頃に寝て、新所原駅の初電に間に合うよう4時30分頃起床。
此処から撤退戦

JRで名古屋へ(始発が特別快速でバカ速い)
名駅で近鉄に乗り換える

ひのとり

豊橋から新幹線で新大阪…の方が断然速いが高い。
ただでさえ参戦費用に撤退費用が嵩むので名阪間は比較的リーズナブルな特急ひのとりの暴力で鶴橋まで一気に移動。(輪行するから前日ネットで後ろの座席を確保した)
鶴橋からJR乗り継いで午前中に帰宅した。

徳川の伏兵に散った同士…

リザルトを見ると、参加者の半数以上がDNF(徳川の伏兵により討ち死に)
予想外に過酷なBRM916京都600㎞だった。
悔しいが、完走より命を選択した。今元気に生きているからブルベに参戦出来るのだから堂々胸張っていいと思う(知らんけど)

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